白魚。

3月9日の木曜日いかがお過ごしでしょうか。

 

ここ銀座もマフラーや手袋を身に着けている方も少なくなりました。

 

皆様の地域ではいかがでしょうか。

 

豊洲市場でも、と言いたいところですが

年中同じ気温に設定されていますので、寒いのか暖かいのかわからなくなって

おりますね。

 

その昔は、江戸っ子は活きを意気で売っていて、大声が飛び交っていましたが

そのような風景も築地までなんでしょうね。

 

ただ名残りは、日本橋の魚河岸時代に築き上げた商売の方法というか

各地から船で届いた魚を荷下ろしする際に、日本橋川は干満差の影響が大きく

干潮時には舟が接岸できなくなるので、平田舟と言って、舟を並べておいて

そこを艀(はしけ)として利用したみたいです。

 

舟を固定せずに遊びをつくって停泊させ、その場所を既得権でもって買い取らせ、最初の頃は16艇と決まってありましたが、大正になるころには、23艇であったみたいです。(荷受けの起源ですね)

 

なんで半固定化と言いますと、船で幕府側の御船が航行する際に、邪魔になるので、いつもは縦に泊めてあるものをその時だけ横にするために、わざわざ遊びをつくっているわけなんですね。

 

そうして各地から集められた魚を陸揚げし、仲卸業者と取引をするわけです。

(漁師さんの代表が荷受けで、魚を扱う生業の代表が仲卸業者となるわけです)

 

歴史というか凄いものです。セリの仕方もヤリをつくとも言いますが、いわゆる指値ですね。手で値段をつけわけで、慣れていないとまったくもってわかりません。指す(さす)からヤリなんですね。

 

そんなやり方を、この令和の世になっても続いているのが凄いと思います。

 

そんなセリ落とした白魚(しらうお)を使って今週は小鍋をつくっておりますが

この白魚も江戸時代初頭は御留魚(おとめうお)として、将軍の献上品であったという事です。どうも佃島の漁師が見たこともない白魚がかかりよく見ると額に葵の印がある!と殿に意見したことろ、家康公はそれは三河でもよく見た魚だという事で、この江戸でも獲れるとはめでたい事である。として献上品にしたという話であります。しかし、これは白魚の価値を上げるための作り話らしいです。

 

ただ、献上品であることは間違いないことみたいで、浅草周辺や稲毛周辺で獲れた白魚は、京橋まで運ばれ白魚屋敷に収められたという事です。のちに白魚役という役職まで生まれますが、その名残りがKK線(東京高速道路)の白魚橋乗り継ぎ所ですね。

 

そういう意味では、昔の地名を残したことは江戸の歴史を知るうえでは、とても重要ですのでが、2030年をめどにこのKK線を廃止にするみたいですので、こっちもどうなるのか見ものです。(ちなみにKK線の下、一般的にいうコリドー街とかですが、高架下は今でも住所があやふやなんではないでしょうか。またこの東京高速道路(約2キロ)は無料で通行できましたが、それもどうなるのでしょうか。)

 

それに伴って、日本橋の高速道路も地中化することになりますが完成予定が2035年としてありますが、あと12年でできるのか?またそのころには、地下鉄8号線(有楽町線)豊洲駅から住吉駅までの約5キロも開通する予定でもあります。さらには、臨海地域地下鉄線が開通し東京駅から銀座経由のビックサイトまで向かう路線ができるのではないでしょうか。(2040年くらい)

 

さあ江戸の発展は書いても書いても尽きませんが、

 

今日の大谷さんにも目が離せませんね。

 

頑張れ!日本!

 

本日もよろしくお願い申し上げます。