終わりに。

3月14日の火曜日いかがお過ごしでしょうか。

 

今日は、ホワイトデーでしたね。

 

(更新が営業後で申し訳ございません。)

 

なぜか本日、ご夕食のお客さま男子のみ。笑

 

どう見ますかね。

 

 

そんなことより、寒さが戻ってきました。(一般的に言う寒の戻りです)

お体に気を付けてお過ごしください

 

 

さて、昨日の江戸前話ですが

江戸前の漁業は、関西の漁師さんがきて随分変わったみたいです。

最新の漁法で獲るため、江戸の漁師にはついていけなかったようで、悔しいから

嘆願書を出して規制をかけるよう働きかけたりして食い止めを図ったみたいですね。しかも資源保護の観点からも規制は必然だったかもしれませんね。

 

そこで84の「浦」と18の「磯付村」に編成され、「浦」は漁業を専業する漁村で

「磯付村」は漁村と認められず、半農半漁村で自分たちが食べる分だけは漁をしても良いとの認定だったみたいです。

 

しかもその「浦」でも御城の御膳漁をとる御菜八ケ浦は別格であったみたいです。名残りで芝浦という地名は今でも残っておりますが、金杉橋のあるあたりは金杉浦でもありましたし、品川は品川浦と名称があり、そこに今では完全に陸になってしまいましたが、佃島が海に囲まれている頃ですね。

(その当時の様子を見てみたいです。歌川広重が書き残していますが)

 

いま私が住んでいる葛西は、葛西村という総称で、今はすっかり公園になって

おりますが、宇喜多、長島などの地名が現在もありますが、ここは磯付村であったみたいです。という事は、相当埋め立てられてますね。ちなみに大森も磯付村です。

 

それが内湾漁業権全面放棄で終焉を迎える昭和38年まで続いていたんですから

じつに350年もの間、東京湾(江戸前)が豊潤な漁場であったんですから大したものです。

 

明日は、いよいよ浅草海苔です。

 

今日も一日お疲れさまでした!!