3月25日の土曜日いかがお過ごしでしょうか。
さて、WBCもあっという間に終わってしまい何か寂しい感じもしますが、
皆様はいかがお過ごしでしょうか。
つい先日ビジネスパートナーが3月21日に再婚したのですが、なぜかその日は結婚発表が多いと思ったら、3,2,1。。。と、カウントができるのですね。
(ほんとにそれだけか?)
なにはともあれ、おめでとうございます!!
ところで、海苔が高値になりましたね。今年も不漁でしたらどうなってしまうのでしょう。ちょっと心配です。
その昔は、いわゆる江戸の土産は浅草海苔か佃煮と決まっていたみたいですね。
どちらも日持ちするので、重宝されたんだと思います。
そんな浅草海苔。
どうして浅草海苔と言ったのでしょうか。
・浅草で海苔が獲れていた。
・浅草紙の漉き方まねして海苔をつくった。
などいう方もいらっしゃると思いますが、江戸時代に入ってから
浅草海苔という言葉が出てくるようですので、そのころ浅草は海には面しておらず、むしろ繁華街になっているので、江戸前の海苔を集めて浅草で製造した考えられているの一般的な事らしいです。
ちなみにですが、この最終加工地が産地表記になってしまったのは、悪しき前例であると私は考えます。
これがいまだに続いていて、例えば「ふぐ」なんかは典型的ですね。静岡県から下関までもっていき、少しの間泳がせて、最終的に下関産として市場に流通させるなどの手法が公然と行われているのは、この浅草海苔のマーケティングによるものだと思います。かつ、日本人は「名前」に弱い。しばらく前に書いた熊本県産のアサリにみられるように、「かんむり名」にことのほか弱い。
話が脱線しましたが、笑
その浅草海苔でなんと葛西で獲れたものが、最優秀の品物で売れたらしいです。
しかし、中川の氾濫で海苔が取れなくなり、次第に衰退していったみたいでが。
そんな中、海苔の養殖が盛んに行われるようになり生産力もグンとあがって、浅草海苔の全盛期を迎えるみたいです。そもそもその養殖は、品川浦の漁師が魚の生け簀の波除に棒を建てたところ、そこにノリが群生しているのを発見し、そこから「ひび」建ての養殖方法を思いたとされています。
この大発見が現在まで生きているわけですから江戸時代はホント凄い。
また、ちなみにですがこの「ひび」どこかで聞いたことはないでしょうか。
そうです!日比谷です!
日比谷の野音(建て替え決定。)でおなじみ、
日比谷公園でおなじみの日比谷です。
この日比谷の由来はまさに「ひび」が多くあったことにあるようで、その昔
日比谷が入江だったころは海苔の生産地で、それこそ今の帝国ホテルさまのあたりにあったのではないでしょうか。また、海苔を乾かす台も「ひび棚」と言っていたので、当時は相当の産地であったことでしょう。
その名称だけが現在も残っているのわけですから、おもしろいものです。
また話がそれましたが、その浅草海苔が売れに売れまくった訳ですので、どこの浦でも、海苔の養殖を始めるわけです。しかも門外不出で江戸前の漁師さんしか知らなかったみたいで、いまでいえば独占禁止法に抵触するくらいの勢いで約100年近く、江戸前でつくられていたみたいです。
しかし、その門外不出のようなものでも、情報が流失しそれが全国に知れ渡るようになり、独占で売っていた浅草海苔は次第に衰退していってしまったというのが事の結末ですが、この海苔の養殖を一大展開したことにより海が死んでしまったみたいで、その当時に優秀な海洋学者でもいらっしゃれば話が変わったかも知れませんが、海苔の養殖は海に黒い幕を張るようなものですので、海に日が当たらなくなったことで、小魚や貝類に大きく影響したみたいです。次第に江戸前の魚も獲れなくなったみたいでしたので、都合があっていたと言えばあっていたのではないでしょうか。
でも、この海苔(浅草海苔)の開発により、現在でもお寿司屋さんには欠かせないものでありますので、江戸の世(戦のない平和な世、鎖国政策など)は
素晴らしい文化をつくりあげたのだと思います。
長い話に付き合っていただきありがとうございました。
また情報が整いましたら江戸前についてお話いたします。
それでは良い週末をお過ごしください!!